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| 7月17日 幸福な天才 |
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昔、「優等生はいつも時代の犠牲になる」と言った人がいた。
周囲の平凡な人たちが、その能力をここぞとばかりに「利用」するからだろう。自分では出来ないが、あいつなら出来ると思うから、その優等生をおだて、持ち上げ、その気にさせて、やらせる。
勿論、全幅の信頼と期待と希望を抱いて、神頼みのような思いでその優等生に願いを託す場合もある。
世の必然として誰かがやらなければならない正義の仕事もあるだろうし、姑息にその優性能力を利用されることも多々ある。
平凡な人間には到底こなせない仕事だから、いずれも簡単な仕事ではないはずだ。優等生本人も周囲より突出するから、モロにさまざまな「風」を正面で受け止めなければならない運命に置かれる。
確かにそこに悲劇はある。
人間世界のことだから、嫉妬や妬みも生まれて来て、それをも受け止めなければならない。やはり、二重三重の悲劇だ。
ドロップアウトしない限り、その悲劇的な運命からは逃れられないだろう。
かつて、幸福な天才という人はいなかったと思う。
歴史上のほとんどの天才が、悲劇の人生を生きている。
しかし、それは歴史が作り上げた偶像であって、本当にその天才が不幸であったかどうかの真相は分からないと私は思っている。
自分の能力を発揮して何かの形を作り上げ、前人未踏の作品を完成させることの歓びに、天才たちが気づかなかったはずがない。
歴史上の天才たちも、きっとどこかでその歓びを味わっていたに違いない。
凡人には到底及ばない能力を発揮して、何かを成し遂げることはやはり幸福だと思う。
だって、凡人はどうあがいたって、出来ないんだから。
凡人だって、質は違っても、それなりに多くの悩みや苦しみを持ち、あがいている。日々、自分の能力の限界に絶望している。
優等生よ、天才よ。あなたたちはやはり幸福なのですよ。誰にも出来ないことが出来るんだから。
苦しさや辛さもあるだろうが、それは凡人たちと全く同じなのですよ。
でも、あなたがたは凡人とは違うことがひとつある。
「天才」であることなのですよ。
それは決して凡人には味わうことの出来ない歓びなのですよ。
勿論そこには99パーセントの努力があるに決まってる。凡人の十倍百倍の努力も苦しみもあるだろう。でも、出来ない奴には出来ないんですよ。
それが出来る歓びっていうのは、あなたがたの特権なのですよ。
我々の憧れなのですよ。
私もかつて同業者に天才と言われたことがあった。
仕事の内容ではない、原稿執筆の速さに関してである。
でも今はもう凡人です。凡人以下です。日本有数の遅筆脚本家に成り下がりました。その両方を体験した私は、天才の歓びも苦しみもあがきも、凡人の苦しみも分かっていると思っています。
天才も凡人もどっちも苦しいですよ。
でも、天才と言われていたときの方が歓びは大きかった。
……そのことを分かってほしい。
と、私は今日のこの日記を、あるライターたちに捧げたい。
君たちは今、天才なのです。
そのことを歓びとして欲しいのです。 |
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