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| 6月1日「天才の孤独」 |
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実に久しぶりの日記です。
ここの日記には、何か感性にピンと来たことを書いた方がいいと思って、そういうことがあったら書こうと思っていたのですが、最近全然感じることがなくて、正月以来空白が続いていました。そういう日々が続いていると、俺は何も感じない馬鹿になったんじゃないかと思って、ちょっと不安になってました。仕事ばっかりして、あと何枚、あと何ページという超現実的な生活をしてると、感性が研ぎ澄まされなくて、駄目ですね。
どうでもいい日記は私のプライベートサイト「BULLOG's market」という方に書いていたので、よけいにこっちがおろそかになってしまっていました。
そしてようやく最近感じることがあったので、久しぶりに書いてみようかなんて思ったのでした。
「天才の孤独」なんて、タイトルつけちゃったんですけど、天才ではないんだけど俺は最近とっても「孤独」を感じています。かつて天才と言われた人たちの孤独って、こういうのだったんだなと今、それをほんのちょっと体感しています。
打ち合わせの席で「回っているのは太陽じゃなくて地球ですよ」という発言が誰にも受け入れられない。「太陽が回ってるんだよ、バカ」と数年前に自分が思っていたことを、周囲の人々が得意気に言って来るのを「そうじゃないよ」と熱弁しても誰も分かってくれない。俺は、分かってないんじゃなくて、その次、その上を考えてそう発言してるんだけど、誰もそれがわからない。 見渡すと周囲の人々は「石原は何言ってんだろう」という困った顔をしている。俺は俺で、あなたがたが考えてることの更に上のことを考えて発言しているんだという自負があるんだけど、みんなには理解できない。そうこうしているうちに、彼らを説得しようという気力がなくなって来る。 そして「孤独」が訪れる……。
考えてるレベルが違うよと図々しく頭の中で思ったりするんだけど、相手がそれを理解してくれないと、ただの変人になる。壁に向かって話しているようになる。自分のレベルを下げて、もういいや、じゃ、みんなに合わせるよというのも納得いかない。俺にはライターとしてのプライドがある。この歳で、この立場にあって、そういうレベルのホンは書けないという思いもある。かと言って、それを主張しても、誰も理解してくれない。
こういうのが、学校で起こっていたりすると、イジメにつながるね。民主主義って怖い、多数決って怖い、本当に今そう思う。もしかしたら、自分もかつて、そういう「天才」にそういうイジメを仕掛けて来たのではないかと思うと、ぞっとする。その人の胸の内を思って切なくなる。かつて天才と言われた人々の恐るべき孤独の一端を垣間見て、悲しくなる。
勿論、全部が全部そうではない。私の言ってることをすぐ理解してくれる人もいるし、私を導いてくれる人もいる。そういう人たちと仕事をしていけば、私も気持ちの良い仕事ができる。それだけやってればいいのかもしれない。でも、テレビ業界で仕事をする自分がそういう形をとると、ドロップアウトするみたいでとってもイヤなんだよな。だからまだ、話が通じない人、テーマの違う人とも仕事をしなければならない。
どの世界、どの時代にもそういうことがある。そういう人は自分の中でどうケジメをつけて仕事をして来たのだろうか。世間との接触を絶った人、変人と言われて終わってしまった人、周囲のレベルに合わせて嘘をついて生きた人、いろいろあるが、俺は一体、どの手を使ってこれから生きていけばいいのか。ちょっと悩んでいる。
テレビ業界は新陳代謝が激しく、若い人がどんどん出てくる。そういう人たちと仕事をするときは、俺はその人の感性になるべく合わせるようにして仕事をして来た。ドラマ作りに未熟でも、相手をリスペクトしようと心がけて仕事をして来た。そうすると、相手も私の意見に真摯に耳を傾けてくれる。そういういい関係の時代がしばらく続いていた。気持ちの良い仕事が続いていた。それが今、崩壊しかけているのか。今のアノ現場だけが合わないのか……。
この年にして私は今、ひとつの転機を迎えているのかもしれない。
とは言っても、自分のテリトリーが冒されているのかという不安は全くないし、堅牢な牙城がここにはあるよという自負もある。恐れていることは何もない。自分は自分をまだ充分信じられる。
「孤独」は、そのうち克服します。私は天才じゃないからね。「世紀の凡人」であることをテーマにし、それをセールスポイントにして生きている男だし、凡人であることの強さを、俺はよく知っていますからね。無数の凡人の後押しがある私は負けないんです。
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